
KIMDAEJEUNG / Pixabay
著書『置かれた場所で咲きなさい』で有名な、故渡辺和子さん
渡辺さんの書かれたエッセーの中に、ご自分が鬱になったときのことが書かれています。
50才で脂がのっている時、仕事がおもしろくて仕方がない、その時にほしくもない病気をいただきました。
その時、一人のカトリックのお医者様が、「シスター、運命は冷たいけれど、摂理はあたたかいですよ」と慰めて下さったのです。
その当時は、その言葉の意味がわかりませんでした。治りたい、治りたい、治りたい、とだけ思い、神を恨み、愚痴を並べ、そして暗い顔をしておりました。
私が唯一ほほえむことのできなかった時期です。
その後、運命と摂理の違い、それがようやく少しずつわかってきました。
この世のなかにおこることを、「しょうがないこと」「ふってわいたような天災、人災」、つまり運命として受け取るのではなく、
同じ受け取るのなら、摂理として、神の計らいとして、受け取りたい。
私のほしかったことは、その時には実現しないかもしれない。
でもいつか神の時間に、実現されるのだと言うこと、そう信じて生きることが、全てを摂理として受け止めると言うことなのです。
神の摂理として病気をいただいたということ、その時はとても辛かったけれども、いまとなっては、あの時、あの病気をして良かったと思います。
病気をしたおかげで人に対して優しくなりました。それまで人に対してきびしくて、あの人はだらしがない、なぜもうちょっと頑張らないんだ、などと思っていたのが、それを思わないで済むようになりました。自分の弱さを知ったからです。
私が変るために、神が摂理として病気を下さったのだと思います。そして、そう思うことができるようになったことをありがたいと思います。」
50歳という一番脂がのった時期に、辛い病気をいただいた渡辺さん。
しかし、その時にはわからなかったし、見えなかった、神の計り知れない豊かな計画があったのです。
その辛い時期をいただいたからこそ、著書『置かれた場所で咲きなさい』も生まれることになり、
沢山の人々に、慰めと希望を与えることになったのです。
問題をいただいている今、
この問題を通して、人は思いもしなかった素晴らしい神の創造の業があらわされることに期待して、
問題さえも神さまに感謝することで、
やがてすべてがつながり益となっていく奇跡を、
体験することになるのです。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということを、わたしたちは知っています。」ローマの信徒への手紙8章28節