人はなぜ死にたくなるのでしょう。
もちろん人それぞれに違った悩みや苦しみがあります。
同じ理由で人は死にたくなるわけではないでしょう。
だから、一つの答えがあるわけではないことはわかっています。
それでもあえて立ち止まって、考えてみたいのです。人はなぜ死にたくなるのだろう、と。
一つ言えることは、本当は死にたくなっているのではなくて、生きていることが苦しくなっているということです。
つまり「死にたい」というのは、死に憧れているのではなくて、
「生きたい」のに、生きることがつらく感じている心の叫びなのです。
ちがう考えもあるかもしれませんが、わたしはそう思っています。
せめて、今日を生きることが、苦しく感じられなければ、今日を生き抜くことができるでしょう。
自殺は、自殺未遂が成功してしまった結果だ、と言った人がいます。
つまりだれも本当は死にたくはないのです。
でも、あまりにも生きることが辛いので、楽になりたい一心で、
自殺しようとするけれども、心の底では死にたくないので、未遂を何度も繰り返します。
その自殺行為がうまくいってしまうと、自殺になってしまうのです。
本当は、だれしも死にたくなどはないのです。むしろ生きたい。生き抜きたい。
でも、生きることが苦しいのです。
それは病気などで、体が苦しいということもあるでしょう。
でも、今は終末期医療も進んでいますから、終末期の苦しみは軽減されています。
むしろ体の苦しみというよりも、人は心の苦しみに耐えきれずに、死にたくなってしまうのです。
愛する人を失った、心の苦しみ
いじめられ続けている、心の苦しみ
生きる意味が分からない、むなしさという、心の苦しみ
これからどうなってしまうのかと、恐れによる、心の苦しみ
この心の苦しみが、人を生きられなくしてしまうのです。
死ねば楽になれると思い込んでしまうのです。
心が苦しんでいるときは、視野が狭くなり、目の前のことしか見えなくなります。
借金のために、心が苦しんでいる人は、手っ取り早くお金を手に入れることしか、見えなくなります。
それで頭がいっぱいになり、それが不可能だと思ったら、死にたくなってしまうのです。
他にも逃れの道がいくらでもあることが、見えなくなってしまうのです。
資本主義社会において、お金は、物やサービスと交換するための「引換券」です。
その「引換券」が返せなくなったからといって、命と引き換えにすることはないのです。
資本主義におけるゲームにまけただけの話です。リセットして、また1から始めればいいのです。
自分一人だけで頑張らなければならないとか、責任を負わなければならないと考えなくてもいいのです。
ゲームに勝つ人がいれば、負ける人もいる。そういう仲間はたくさん世の中にいます。
あなたはひとりではないのです。
また、過去の悲しい出来事に、今も心縛られて、生きることが苦しくなっている人もいるでしょう。
しかし過去は、記憶の中にしかないのです。人は「今」しか生きられないし、「今」を生きていくのです。
過去という「記憶」にしばられて、自分で自分の首をしめて、苦しめなくてもいいのです。
そんなあなたも、決して一人ではないのです。仲間はきっといます。
これをここまで読んでくださったことに、感謝いたします。
逃れの道は、きっとあります。大丈夫です。
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