今や、すっかり定着した「スピリチュアル」という言葉。
それを使って人を集める人々は、伝統的な宗教とは違うイメージを作ろうとして、「波動」とか「宇宙意識」のような言葉を並べます。
しかし内容は、昔からある占いやオカルトであったり、スピリチャルカウンセラーと名乗る人が、自己肯定感の低い人の、自己肯定感を引き上げる言葉を語って、いい気持にしてあげているものであったりします。
「スピリチュアル」で人生を棒に振る中高年たち、悲劇の実例集
中高年の、頑張っても先が見えてきた不安。特に経済的な不安から、半信半疑でこのようなものに足を踏み入れていき、
スピリチャルカウンセラーなどを名乗る存在から、 たとえば『これまでに恋愛で失敗したことがありますね?』という、ほとんどの人が『はい』と答えるようなことを言って、「え、この人は自分のことを言い当てた」と錯覚させて(コールドリーディングという手法)、信じさせ、依存させるということをするわけです。 そして、スピリチャルカウンセラーなどに、依存させていくようです。
また、スピリチャルの人は、こういうことを言います。
「自分を愛しなさい。自己愛ことが最も大切。自己愛を高めることでお金を稼げる。自己愛によって幸せになり、問題を解決できる」
「波動の低い人にかかわると、自分の波動が下がる」
つまり、自分を愛し、自分の波動を高めていくと、悪いことではなく、いいことを引き寄せることになり、お金も手に入り、問題も解決し、幸せになれるといい、
またネガティブな言葉を巧みに語り、
「これから日本は大変な時代がやってくる」
「経済的に生き残るためには、マインドが大切」
などと危険をあおり追いつめて、自分に依存させようと誘導します。
こういうスピリチャルに触れ続けていると、
「人のことはどうでもいい。自分は波動を高めて、わたしは生き残る」という、自己中心な人間にますますなっていくでしょう。
スピリチャルの人々からは、
「それはあなたに問題があるんじゃないか」と問われたり、「自分勝手なんじゃないか」と批判されたすることは、ほぼありません。
いつも自分を肯定してくれるメッセージを聞き続け、悪いことが起こるのは、先祖や、周りの人や、波動の低い人々からの影響ということにします。
そうしないと、お客さんが逃げてしまうからです。
しかし本来
「そのようなあなたの自己愛こそ、むしろあなたや、周りの人を不幸にしているんじゃないか」と問う
それが本物の宗教です。
ちなみに、キリスト教は、この世界を創造した愛の神から、人間は離れて自己中心という罪に落ち、お互いに争い合うものとなったと、教えます。
有名なアダムとエバのお話です。
自己中心のゆえに、二人は愛し合えなくなったばかりではなく、彼らの子どもたちは最初の殺人さえ犯します。
聖書は自己中心を不幸の源と告げているのです。
自己中心とは、言い換えれば、自分が「王様」になることです。
「王様」同士が、相手を支配しようとすれば、争い合うのは当然の結果でしょう。
本当の王様は、天地を造られた「神」だけ。
自己中心、自分が王様という、その王座から降りて、
神中心、神様にこそ、平和の王様になっていただき、神様の言葉に聞き従っていきる。
そのような人と人とは、互いに争わずに、共に生きられるようになるのです。
そのために、キリストは人の罪を背負って十字架に死に、復活しました。
その神の救いを信じて、神と隣人を愛する生き方への導くのがキリスト教です。
さて、スピリチャルという言葉が流行りだすと同時に、
「自分らしく生きる」「自分の好きなことをやって生きる」という言葉も流行りだしました。
いつも、人の目を気にして、自分を押し殺して生きている日本人には、
この「自分らしく生きる」という言葉は、自由と解放の言葉として、心に響いたのでしょう。
しかしこの「自分らしくいきる」という言葉も、注意が必要です。
神に造られ、神がデザインした「自分らしく生きる」ととらえることが大切です。
また、神が与えた才能を生かすために「自分の好きなことをしていきる」と、とらえることが大切です。
そうでなければ、「自分らしく生きる」とは、つまり「自分勝手に、自分中心に生きる」と勘違いされてしまいます。
それではこの世界は「自分らしく生きる、自分勝手な王様」たちによる、争いと争奪の社会になってしまいます。
とにかく、自分中心こそが、わたしたちを苦しめている悪の現況なのです。
さて、そろそろ話をまとめましょう。
スピリチャルのいったいなにがまずいのか。
ずばり、それは「自己中心」「自己愛」を強めるからです。