やさしいキリスト教入門 心と体の健康について

向谷地さんの「当事者研究」って、昔から教会がしていたことかも

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DGlodowska / Pixabay

心病む方々と共に生きる、北海道のベテルの家では、「当事者研究」ということをしています。

ソーシャルワーカーの向谷地さんが始められた「当事者研究」とは、
問題行動を抱えている当事者自身が、自分自身の内面をみつめ、向き合い、分析し、客観化する、ということです。
そして、その客観化した「自分」を、自分自身が受け入れていくために、「ユーモアーで笑い飛ばす」ということをします。
また「みんな同じ弱さを持っているんだよね」と「弱さの情報公開」をして共感しあうことで、ゆるし合い、人間関係を回復していこうとしています。
詳しくは「べてるの家」を検索してみてください。
さて、この「当事者研究」ですが、
実は、すでに教会がしてきたことだと思うのです。
教会の場合は、「自分の弱さ」というよりも、もっと本質的な「自分の罪」と向き合います。
神のみ言葉という鏡の目にたち、自分の罪に向き合い、その醜さ、汚さ、自分勝手さに、目をそらさず向き合い、自分に失望さえします。
しかし、そのような自分をなお愛し、主が犠牲を払って救ってくださった、十字架こそを、自分の誇りとするのです。
その十字架の愛に共感し、十字架の愛ゆえに、互いにゆるしあい、ともに生きていこうとします。
その表現として、共に集い、こころをあわせて礼拝を捧げる。それが教会という現場です。
ですから、「当事者研究」は、なにもベテルの家だけがしているわけではなく、
今、神の御言葉という鏡の前で、自分自身を見つめ、自分の「罪」と向き合おうとするなら、
だれでもすでに「当事者研究」をしているわけです。
教会では、日曜日の朝の教会学校や、お祈り会において、聖書を共に読みながら、自分自身に向き合うとき、「当事者研究」がなされています。
聖書の御言葉を前に、自分自身の弱さ、罪と向き合い、神の愛によって乗り越えて行こうとするのです。
しかし実際には、教会でさえ、これがなかなかできないものです。
自分の罪に向き合うということは、しんどいことだからです。
神にゆるされていること、神の愛というセーフティーネットを本気で信じなければ、できません。
そして、教会で、この「罪人」としての、「当事者研究」ができないなら、「弱さの自己開示」もできません。
互いの弱さ、罪をオープンにして、祈り合うためには、
お互いの間に聖書をおいた「当事者研究」が大切なのです。

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しゅういち

牧師を20年以上しています。哲学、神学、心理学、カウンセリングなどの学びと、沢山の人との出会いを通して学んだことのエッセンスをお伝えします。

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