旧約聖書のことを「これは訳が古いんだな、だって旧訳聖書なんでしょ」という方が、たまにおられるんですよ。
まあ、日本語では紛らわしいですよね。「旧訳」と「旧約」って。
この「約」は「契約」の約なんです。「約束」の「約」でもありますよね。
それでいったい誰と誰との「契約」かというと、
天地を造られた「主」とイスラエルの民の「契約」ということです。
ノアの洪水という有名な話がありますけれども、この地上に悪が満ちて、洪水によってこの地上が洗われるという出来事のあと、
箱舟を作って救われたノアとその子孫に、神様はもう洪水で滅ぼさないという契約をなさったのが最初。
その後、イスラエルの民の始祖となる、アブラハムを選んで、契約をなさったのでした。
「契約」なんていうと、なんだかビジネスみたいですかね。
「あのとき、いったじゃない。わすれちゃったの」
「それは約束がちがうじゃいですか」
という経験が、だれにでもあるでしょう。人間ってほんと、忘れっぽいし、変わりやすいし、いい加減。
でも、天地を造られた「主」は、いったんあなたを愛すると決めたら、
「そんなこといったっけ。わすれちゃったな」とか
「あのときは、そんな気がしただけ。今は気が変わったのさ」
なんておっしゃらないのさ。
いったん約束したら、守る。それが「契約」をする意味なんですよ。
「主」が最初にアブラハムを選んで、契約を結ばれた言葉を、引用しておきますね。
アブラムが九十九歳になったとき、主はアブラムに現れて言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしに従って歩み、全き者となりなさい。
わたしは、あなたとの間にわたしの契約を立て、あなたをますます増やすであろう。」
アブラムはひれ伏した。神は更に、語りかけて言われた。
「これがあなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。
あなたは、もはやアブラムではなく、アブラハムと名乗りなさい。あなたを多くの国民の父とするからである。
わたしは、あなたをますます繁栄させ、諸国民の父とする。王となる者たちがあなたから出るであろう。
わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫の神となる。
(創世記17章)
これが旧約聖書のいわゆる「旧約」ということ。
最初に「主は」、アブラハムとその子孫(イスラエル)を祝福する「契約」をなさったんです。
そんなに愛されているなら、「主」に愛されているイスラエルの民も「主」を愛して生きていこうよ。具体的な生き方で示していこうよ。
それが神の民とされた、イスラエルの中心テーマとなったんです。
そういうイスラエルの民の生き方を通して、
この全世界の人々に「主」の素晴らしさが伝わり、
最終的にはすべての人が、「主」を信じる神の民になる。
そういう意図がこの最初の「契約」には、当然あった。
つまり、イスラエル「だけ」を愛するのではなく、イスラエルを「通して」、すべての人を愛し救うのが「主」のご計画。
さて、ここまでお伝えした内容は、旧約聖書の一番最初の「創世記」というところに書いてあります。
「創世記」の次が「出エジプト記」
これはその後人数が増えたイスラエルの民が、
当時のエジプト王国の奴隷となってしまって、
ブラック企業もびっくりな過重労働をイスラエルに強いたときに、
「主」はモーセというリーダーを選び、立て、エジプトの王パロと折衝させるのです。
最後には結局、エジプトに「主」の裁きがくだり、
その「主」の裁きを過ぎこすようにして、
荒れ野にイスラエルは逃れていくんですね。
荒野の旅の途中で立ち寄ったシナイ山の山頂で、
モーセは「主」から「十戒」「律法」という、教えをさずかって、
その後は、この「律法」が、神を愛するイスラエルの民の、具体的な生きる道標となっていくわけです。
次に「レビ記」(細かい律法の規程集)
「民数記」(イスラエルの部族の人数や、荒野の道中記)
「申命記」(律法が与えられた出来事とその内容を再度確認)
と続いていくのだけれども、
この「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」までを、律法の書といって、
旧約聖書の中の、超重要文書なんですね。
さて、難しくなってきましたかね。
まだいけますかぁ。質問をコメント欄にしてくださいね。
あたまがパンクしないうちに、さあ今日はこのあたりで終わりましょう。
それではまた。