5月6日に行われた、日本大学と関西学院大学のアメリカンフットボールの定期戦で起きた騒動。
関学大の選手に悪質なタックルを仕掛けて負傷させた日大の選手が、都内の記者クラブで記者会見を開きました。
会見を開いた彼は、日大の監督やコーチが、「1プレー目で相手のクォーターバックをつぶすのなら出してやる」とか「できませんでは済まされないぞ」「日本代表に行くな」などの発言をしていたことが証言されました。
会見を行った彼は、たとえ監督、コーチからのプレッシャーがあったとしても、悪質なタックルを行ったのは自分であると、全面的に非を認め、謝罪いたしました。
様々なインタビュアーが、監督やコーチへの恨みの言葉を引き出そうとするような質問を投げかけていましたが、彼は終始、起こった事実と謝罪の言葉を語ることに徹しました。
行ってしまったことは、取り返しがつかないことですが、自分が行ったことにまっすぐに向き合い、謝罪することで
人としての「誇り」だけは捨てなかった、といえるでしょう。
さて、未だ日大の監督とコーチは、事実関係をはっきりとさせていません。
今後、「言葉が足りなかった」とか、「コミュニケーションが足りなかった」と、言い逃れがなされるかもしれません。
いずれにしろ、「勝ちさえすればなにをしてもいい」という考えに基づいた指導が、大学教育の一現場で行われていたことは、残念かつ遺憾です。
勝負の世界はそういうものだ、という考え方もあるでしょう。
綺麗事を言っていては勝てない。そして勝たなければ意味がないという価値観もあるでしょう。
さて、対戦相手であった関学のアメフト部は、
ゲーム前に聖書朗読と安全とクリーンな闘いを願う祈祷をしていたそうです。
そして「堂々と勝ち、堂々と負けよ」という詩が朗読されるのです。
「いかなる闘いにもたじろぐな。偶然の利益は騎士的に潔く捨てよ。威張らず、誇りを持って」と
日大の「勝つためにはなにをしてもいいのだ」と、
人としての「誇り」を捨てさせていた指導者、教育の現場と、
なんと違うことでしょう。