子どもを叱ることと、怒ることとは違うと思うのです。
子どもが、してはならないことをした時は、ちゃんと叱ってあげないと、
してはならないことはなんなのかを、学ぶことができませんから、叱ることは大切です。
聖書にも「かわいい息子を懲らしめる父のように/主は愛する者を懲らしめられる。」(箴言3章)という言葉があります。
子どもをちゃんと叱るということは、叱る方にもエネルギーがいります。
めんどくさかったり、関わりたくないので、
叱らなければならないときに、叱らないのだとしたら、
それは、子どもを愛していないということです。
子どもを愛し、大切に想うからこそ、叱るということがおこるのです。
ただ、本当に正しい意味で「叱る」ということは、意外と難しいのです。
叱っているつもりで、実は「怒って」いるだけのことが多々あるのです。
「叱る」ことと「怒る」ことは、違います。
「叱る」とは、してはならないことに本人が気づいて、変わっていくための言葉かけです。
「そういうことをしていいの?」「それは正しいこと?」という問いかけによって、本人が自分で気づいていくように促していきます。
一方、「怒り」とは、自分の不機嫌な感情をただぶつけることです。
「なんてことをするんだ」「ばかやろう」「いい迷惑だ」
自分のなかに湧き上がってきた「怒り」の感情によって、言葉で相手を攻撃しているだけです。
そして人は「怒り」の感情をぶつけられると、その人のなかにも「怒り」の感情が湧いてきます。
結局、心は頑なになり、変わろうとしなくなり、逆効果なのです。
「怒る」のは簡単ですが、「叱る」のは簡単ではありません。
「叱っている」つもりが、実は「怒っていた」ということが、よくあるのです。
自分が迷惑を被ったとか、イライラしていたり、疲れていたり、
本当は、そういうことを「怒って」いるのに、「叱っている」と思っていることもあるでしょう。
そして、言われている方は、相手の「怒り」の感情を敏感に感じ取るものなのです。
ですから、自分が感情的になっているときは、「叱って」はならない時です。
感情が収まってから、相手が自分で気づいて変わっていけるような、問いかけの言葉をかけていく。
これはとても難しいチャレンジですけれども、
子どもも大人も、ともに成長していくために、大切な心がけだと思うのです。