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日本人は無宗教の人が多いと言われます。
しかし、実は「拝金教」
この「拝金教」には、教祖も教義もありません。
ただ、「お金」を神さまのように崇めて、
その人は、人生のために「お金」を使うのではなくて、「お金」
「お金」のために、仕事をしている人のことです。
「え、お金のために仕事をするのは、当たり前じゃないか」
本来「貨幣」とは、物やサービスを交換するための、「引換券」
「引換券」自体は、食べることも、病気を治すことも、ましてや「
ただ、みんながこの「引換券」によって、
お互いに物やサービスを交換し合いましょう、という「ルール」を守ることにしているので、
この「
それは、100万円の「引換券」なら、100万円の価値の「物」や「
でもこの「ルール」はいつまでも守られるとは限りません。
インフレになれば、100万円の「引換券」で、パン一つしか、
そうなってあらためて、お金とは実はただの「引換券」
お金とは、価値の交換のための、「引換券」という道具にすぎないのです。
にもかかわらず、その「引換券」
「引換券」という「道具」は確かに便利であり、必要でしょう。
しかし本当の価値は「引換券」にあるのではなく、
あなた自身のなかにある「価値」を、人々が必要とし、あなたも、
「引換券」そのものには「価値」はないのです。みんながその「
大切なのは、あなたのなかにしかない「価値」を発掘し、
「引換券」を集めて、自分には「価値」があると思い込むのではなくて、
すでにあなたの中にある「価値」を輝かせて、人々から求められる人になることです。
さて、「拝金教」の信者になると、どういう弊害がおこるのかというと、
たとえば、もしあなたが病気になったとしたら、「お金」
「拝金教」の医者は、患者のためではなく「お金」のためという動機で生きています。
ですから、必要以上の検査をしたり、
その他にも、様々な職種において、本来するべき「価値」の提供ではなく、
「お金」「引換券」を手に入れる動機でなされることによって、
正しいことがねじまげられ、ギスギスした社会になってしまっています。
「拝金教」の弊害に気づいていますか。