人は、自分が本当に好きなこと、やりたいことをする時に、一番その人の能力を発揮できるようにできています。
ゲームが好きな子は、頑張らなくても一日中ゲームをしつづけて、上手になっていくでしょう。
反対に、「自分は頑張ってやったのだ」と思うことは、本当にその人がやりたかったことではないので、
頑張ったわりには、成果も上がらないものです。
小さい頃のアインシュタインは、学校の勉強があまりできなかったようですが、
彼が偉大な科学者となったのは、好きな分野の研究に没頭したからですね。
どのような分野でも、その道の第一人者は、それをやりたいからやりつづけていたら、
それによって生活をするようになってしまったわけです。
さて、今している仕事は、本当にやりたい仕事、すきなしごとですか。
仕事は、いやでもなんでも、生活のためにする、ということもあるでしょう。
でも、一度しかない人生ですから、自分がやりたいことを仕事にしたいものです。
自分に向いているからといっって、それがやりたい仕事とは限りません。
私は音楽が得意でしたから、昔10年ほど音楽関係の仕事をしていたことがありました。
確かにわたしにとって、音楽の仕事は向いていたのかもしれません。
しかし、やがて音楽の仕事はやめました。ほんとうにやりたいことではなかったからです。
向いていても、それが今、本当にやりたいことなのか、ということは別の話です。
むしろ、向いていたり、そのためのスキルを身につけてしまうと、
やりたくないのに、その仕事を頑張ってしつづけてしまうことになります。
本当に、今、その仕事を心からしたいと思っているのか。
それは大切な問題です。
本当にそれがしたいのか、
それとも、それが向いているから、やっているだけなのか。
どうしたら、その仕事を心からしたいと思っているのかを、知ることができるのでしょう。
それを知る方法は
「見返りをもとめるか、もとめないか」で、わかります。
その仕事を「見返りをもとめなくてもする」なら、それは、ほんとうにその人がしたいことです。
その「見返り」とは、現代では「お金」「収入」であったり、「評価」「名声」であるかもしれません。
つまり、そういうものを手に入れるために、しているのなら、その仕事そのものを、心からしたいとは思っていないことになるからです。
言い方を変えて、質問にしてみましょう。
もし、生活のためのお金に困っていなくても、その仕事をあなたは続けますか?
だれからも評価されなくても、褒められなくても、その仕事をあなたは続けますか?
もしそうするのなら、その仕事は、あなたが本当にしたいこと、好きなことにちがいありません。
そういう仕事に出会えた人は、幸いです。
これは理想論に聞こえるかもしれません。
でもよく考えてみてほしいのです。
たとえば医者が、医者など本当はしたくないのに、お金のために、頑張ってしているとしたら、
そういう医者に、あなたは自分の命を預けますか。
もし、学校の先生が、お金のために、したくもない先生をしているのだとしたら、
そういう先生に、教えられる子どもは、かわいそうではないでしょうか。
なによりも、したくもないことをし続けている本人にとっても、
不幸なことではないでしょうか。
自分が、本当にやりたいことを仕事にする。
それは、本人にとっても、周りの人にとっても、
社会にとっても、実は、とても大切なことなのです。