「往々にして人は「自立しなきゃ」と思うと、「もっと人に依存しないようにしなければ」と考えてしまいます。
・・・こんな間違った命題を信じると、何が起こるでしょうか。これまで依存していた人に、なるべく依存しないようにしようと思うと、依存する先を減らすことになります。
しかし、そうやってどんどん減らしていったとしても、誰にも全く依存しない状態に至るのは、不可能です。
・・・最後に、どうしても切れない依存先が残ります。もしその依存先から「そんなことをすると、お前をもう助けてやらないぞ」と言われると、絶対に言うことを聞かざるを得ません。
たとえ露骨には言われないにしても、「この人に見捨てられたら、私はおしまいだな」と思ってしまいます。これはつまり、従属している、ということです。
・・・「依存する相手が減るとき、人はより従属する」「従属とは依存できないことだ」としても良いでしょう。
もしあなたが、人に助けてもらうことはいけないことであり、自分でなんとかしなきゃ、と思って抱え込んでしまう人であるなら、その考えこそが、あなたを人に従属させている原因だとご理解ください。
もちろんなんでも人に頼ろうとして、人が助けてくれないと当り散らすような人は、未熟なだけです。
しかし、自分が困っているときに、助けを求めることができないこともまた、未熟さの反映なのです。「助けてください、と言えたとき、あなたは自立している」ということになります。」
わたしは8年半の山形県の酒田という街に家族とともに移り住み、教会の開拓をしたことがあります。
収入が0の状態でしたが、そんな私たち家族を支えようと、沢山の友人や友人の友人たちが、少しづつ経済的に支えてくださり、自由に活動することができたのです。
頼る対象がかぎられてしまい、
もうこの仕事、この会社、この人から見捨てられたら生きられないと、心縛られ、支配されないために、
沢山の人々と繋がり、沢山の人々に依存する。
この逆説的な自由を、私自身体験してきたのでした。