心と体の健康について 心の弱さを感じる時

老後や一人暮らしの不安、孤独を和らげるために今からできること

投稿日:2018年1月12日 更新日:

今、家族関係にいろいろと問題があって、一人で生活しなければならない高齢者や若い人が増えています。

健康なときは、ひとり暮らしは気楽でいいと思っても、心のどこかで、将来病気になったらどうしよう、孤独死するのかなと、不安を感じることもあると思うのです。

老後の孤独に対する不安を、だれもが一度くらいは考えたことがあるのではないでしょうか。

今はまだ大丈夫。友人もいると思っていても、だんだん疎遠になったり、先に亡くなったり、そういうことが起こってくるもの。

年金や貯金というお金の問題も大切ですが、いくらお金があっても、将来に対する不安は、いつも付きまとうものです。

では今から将来の孤独に対して、なにかできることはあるでしょうか。

これからお伝えすることが、ヒントとなり、将来に希望が見えてくることを願っています。

歳を重ねると孤独になっていく理由とは?

孤独になっていく理由はある意味簡単です。わずらわしい関係、社会との繋がりを”自ら”切り離していくからです。

これは年齢に関係なく、独身や結婚していても同じです。
人は人間関係を欲していながら、同時に人間関係に疲れてしまうというジレンマを抱えています。

ヤマアラシの夫婦の逸話があります。

寒い冬の日。ヤマアラシの夫婦はお互いの体を寄せ合って、温めあいたいと願い近寄ります。しかし、近づくとお互いの体のとげで、相手の傷つけてしまうのです。
近づきすぎると気づ付けあい、とはいっても離れすぎてもさびしい。
そんなことを繰り返しているうちに、適当な距離感に落ち着いていくというお話です。

会社の人とは、会社だけの繋がりと、適当な距離感を保ちたい。
伴侶とも、適当な距離を保ちたい。

親や義両親との関わり、介護についても、適当な距離を保ちたい。

そういう人間関係を作ってきたなかで、自分の本当の気持ちを、聞いてくれる関係や、相手の本当の気持ちを語ってくれる関係が、どんどんなくなっていくのです。

表面的な関係。うわべの関係。仮面夫婦。

心から分かり合える「友」もいないまま、それがあたりまえのようになって、ただ毎日目の前のこと、掃除、洗濯、料理を繰り返している日々。

たしかに、健康なうちは生活していくことはできるけれども、困ったときに親身になって話を聞いてくれる人が、どれだけいるでしょうか。

友達といえる人も、学生時代の友人か会社の仲間くらい。同世代の人たちは、就職・転職・結婚・出産などで、場所も価値観も、どんどん遠くなっていく。

そして気が付くと、自分一人になっているのです。周りに人がいないわけではないのです。近所に人はいるし、親戚も知り合いもいるけれども、もはやその人たちと「話すことがない」状態になってしまうのです。

自分の心の想いを、お互いの想いを語り合ったり、笑いあったり、支え合ったりする人が、いないのです。

じゃあ、どうすればいいの?

それなら新たな友人や知人を作ればいい、という話になります。しかし若い時でも友達を作ることは簡単なことではありません。共通の趣味や出会う場所がなければ、友人や知人はなかなかできないものです。

それに加え、どういう人と繋がるかも大切です。お互いが相手の利用したり、支配したりするのではなく、尊重し合う関係でなければ、わずらわしいだけです。

お互いに相手から必要にされている関係が大切です。

自分が必要とされている。また、自分が困ったときに頼ることができる。

そういう人が一人でも与えられたら、老後の孤独の不安から、解放されることでしょう。

それは必ずしも同じ年代でなければならないということはないのです。
むしろ、高齢者の経験を、若い人たちは必要としていますし、若い人たちの助けを高齢者は必要としているわけです。

人生の先輩から教わる知恵。 また若い人たちの柔軟な考え方。
さまざまな違いこそが、お互いを必要とする「価値」となるのです。

「あなたとあえて、本当によかった」

死ぬまぎわに、そういうことを言ってもらえるような関係。

人の本当の幸せは、そういう関係を体験していきるところにあると思うのです。

でも、そんな出会いなんて、いったいどこにあるのかと、思うでしょうね。

欧米には、教会という支え合いのコミュニティーが・・・

日本人にはなじみのない教会ですが、欧米においては歴史的に教会が、年齢や仕事や立場の全く違う人々を繋げてきた、コミュニティーでした。

日本においては、教会というイメージは「清く正しい人たちの集まり」というイメージが強いですが、

むしろ、清く正しいのは神だけであって、どんな人も、神の前には、弱く限界を抱えた者だと考えて、

ゆるしあって、支え合う集まり、コミュニティーが欧米における教会の役割でした。

日本においても、昔は地域の寺や神社を中心として、そのようなコミュニティーが作られていたのかもしれません。

いずれにしろ、能力や立場を超えて、人間としてお互いを尊重し合う場として、

いのちのみなもとを土台にした集まりこそが、

まったく違う人々が、心をひらいて触れ合う場であることは確かですし、歴史的にもそのように機能してきました。

具体的には、教会においては、立場の違い人々が、お互いのために、お祈りをしたり、話をきいたり、助け合ったり、支え合ったりしているわけです。

もし孤独を感じているなら、

教会というコミュニティーに参加し、

自分という存在を覚えてもらい、

誰かに祈ってもらうことだけでも、心の安らを得て、助けになるかもしれません。



→ひとり暮らしの親に、今からできるあること

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