もうすこしお金があったら、自由にすきなことができるのに。
そう思いますよね。
こどもは、お金さえ手に入れば、うっとうしい親から離れて、自由な生活ができるとおもうでしょう。
学校なんか行かなくてもお金されあれば、好きなことをして生きていけそうですね。
会社員なら、お金さえあれば、嫌な上司に頭を下げて、嫌な仕事をして、ちょっとくらいの給料をもらう生活から、自由になれる。
お金さえあれば、嫌な人から離れて、自分ひとりで自由な人生を生きることができる。
だれもがそう考えるものではないですか。
しかし、この考えは実はまちがっているのです。
なぜでしょう。
それは、お金がどんなにあっても、「自由にならない」ことが、この世の中にはたくさんあるからです。
その代表は「死」です。「死」はお金があってもなくても、すべての人に等しくやってきます。
どんなお金もちでも、永遠に生きる命を買うことはできません。
次に「愛」です。
お金で愛を手に入れようとしても、
お金があるからやってくる人々は、
あなたを愛しているのではなく、
あなたのお金を愛していることは、まちがいありませんね。
また「友情」もお金では自由になりません。
お金とは無関係に、あなたを助け、あなたと共にいてくれる「友」でなければ、
本当の友ではないからです。
そして「尊敬」もお金では自由に手にいれることはできません。
お金によって手に入れることができるのはあなたへの「尊敬」ではなくて、「へつらい」です。
あなたのお金に興味がある人は、あなたを敬っているふりをします。
お金をもっていれば、むしろあなたのお金を目当てに人が寄ってきます。
そしてむしろあなたの自由を奪ってしまいます。
また、お金はいくらあっても、これで十分とはおもえませんから、
つねにお金が減ることが気になって、心をすり減らすことになりますね。
お金の動きに、心がすっかり縛られ、こころが自由ではなくなってしまいます。
もちろん、お金が必要ないということではないのです。
ただお金さえあれば、自由になれるという考えは、まちがっているということです。
もしお金さえあれば自由になれるのだとすれば、
いったい年収がいくらあればいいのでしょう。
仕事をしなくても、食べていける年収はいくらですか?
それは今の会社にしばられない自由ではあっても、
仕事をしなくてもいい自由ではないですね。
本当に自分がやりたい仕事をして、この世界によい価値をもたらす喜びを味わうのも
自由なことです。
自分はなんのために生きているのかわからないまま、
ただお金と時間だけが与えられ、毎日〃〃、自分の欲望を満たすだけの人生は、
自由ではないですよね。
本当の自由とは、お金によって得られる自由ではなく、
今、お金があってもなくても、しがらみや執着から解放されて、
自分に与えられているものや時間を、
本当に価値あることのために使うことができる、
心の自由のことではないでしょうか。