MtF(男性の体に生まれながらも心は女性)のトランスジェンダーの少女ララがバレリーナを目指す映画「GIRL」を観ました。
2018年のカンヌ映画祭でカメラ・ドール賞受賞した話題の本作は、ルーカス・ドントゥ監督によるフィクション。ストーリーは実在の少女ノーラの実話に基づいたものです。
舞台はベルギー。ここでは、2003年に同性婚が合法化され、トランスジェンダーへの対応では近隣の欧州諸国の中でもが際立っているといわれます。
映画のなかでも、ララの父も親戚も、当たり前のようにララのことを女の子として接しており、彼女が転入することになるバレエ学校の先生や友達からの偏見もほとんどない設定は、現在のベルギーの状況をを背景としているからでしょう。
ララを演じたのは、アントワープのバレエ・スクールに通うビクトール・ポルスター。彼はシスジェンダー(心と体の性別が同じ)の男性とはおもえないほどの美しい容貌で、微妙な女性的仕種を繊細に演じました。
ストーリーを一言で言うなら、トランスジェンダーのララが、夢のバレリーナを目指して、体のハンデ、苦悩を背負いながらも、父をはじめとした理解者に助けられつつ、ひたむきに夢を追う物語です。
しかし、この映画の大きな特色は、トランスジェンダーの人々が、今の社会の中で、自分の心の性に、忠実に生きようとするときにぶつかる、具体的な課題と葛藤が描かれていることでしょう。
更衣室、シャワー、トイレ、恋愛に。またホルモン療法や性転換手術の具体的なことなど・・・・
さらにララの場合は、バレリーナになる学校に入る時期が遅れたハンディを取り戻す努力に加え、思春期の学校生活ゆえの多大なストレスを背負わなければならないという設定になっており、その姿は痛々しく、心が痛みました。
作品のほぼ半分が、ララがバレエの練習に励むシーンです。あらためて、バレエの練習というものが、これほど過酷なものとはしりませんでした。
足の指が血だらけになっても練習をやめないララの姿は、観ていて胸が締め付けられました。
にもかかわらず、父にも弱音を吐かない、いや、吐けないララ。
じっと自分の内側に悲しみを溜め込んでいく彼女が、ラストにおいて、溜め込んだその思いを、具体的な行動として一気に表出するシーンは、もう、直視できませんでした。
バレエの美しさ、軽やかさと対象的に、重い映画でした。
しかしこれからますます多様な人々との出会いに開かれていくことを思うとき、
知るべきことを知り、考えるべきことを考えていくために、
この映画が投げかけているメッセージに、ちゃんと向き合いたいと思うのです。