子育て・教育

一歩社会へと踏み出す我が子へ 私の場合はこうだったよ その2

投稿日:2019年3月28日 更新日:

前回のはなし

私が自衛隊の音楽隊にはいった1980年代ころまでは、まだ音楽隊に音楽大学出身者は少なく、高校のブラスバンド上がりの人が多かったです。

今は、音楽大学を出てもなかなか音楽隊に入るのは難しくなったようです。これも時代の流れなのでしょうか。

わたしは高校のブラスバンドでホルンを吹いていたのに、音楽隊に配属されてから、担当楽器を変更させられるというスタートを切り、最初の頃はだいぶへこみました。でも、愚痴を言っても仕方がない。「やるっきゃない」じゃないですか。

そういうわけで、音楽隊の先輩から紹介されたプロのトロンボーン奏者にレッスンにつき、とにかく早く一人前になるぞっと、練習に燃えたわけです。

さて、音楽隊に入って一年経った頃、夜に練習場で楽器の練習をしていたとき、練習場の電話がなったのです。母からの電話でした。

「パパに殴られて、家を飛び出して、今友達のところにいる」

いきなり母にそう言われて、状況がよくつかめないまま、母がお世話になっている母の友人の家に向かうと、目の周りが赤く腫れた母がいました。

ショックでした。

18歳で私が家を出たあと、父の自営業は業績が悪くなり、母との喧嘩も絶えなかったのでしょう。いよいよ父も母も切れて、母は家を飛び出したのでした。

母の話をきいたあと、わたしは父のところにも出かけていき、話を聞きました。

親が、お互いに相手の批判をする話を、間に入って聞かされる子どもの気持ちは、かなり辛い。これは経験しないほうがいいです。

自分としては、なんとか、もとに戻ってほしいという一心でした。

両親の間にはいってみたものの、結局は当人同士の問題。特に暴力を振るわれた母は、もう父の顔も見たくないという状態。結局、関係修復は不可能でした。

両親は離婚。その後父は失踪。母と当時高校生だった妹は、外に出てアパートで暮らすことになりました。

いわゆる家庭崩壊を子どもの立場から経験したわけです。

今、こうやってその当時のことを冷静に文章にしていますが、まだ当時20歳の私には、両親がこういう形で離婚していく姿に接することは、自分がそれまで信じていた「土台」「世界」が壊れてしまうような、表現し難い「不安」と「虚しさ」に襲われる経験でした。

おまけに、この両親の離婚の出来事を、すぐには受け止めきれなかった私は、誰かに聞いてほして、職場の上司に打ち明け相談したのですが、

その上司は口が軽くて、周りの同僚たちに、相談内容を言いふらすという、アホな上司だったので、

「この人は信頼できない。もう相談なんかしない」と心に誓う羽目になりました。

学生時代という、ある意味、港の内側にいて守られていた船が、港の外に船出した途端、荒波に揉まれるような感じです。

よく鬱にならなかったものです。

楽器の技術のほうが、努力の甲斐もあって、少しずつ上達していたのが、支えだったのでしょう。好きな音楽をすることができるのですから、それはやはり嬉しいことでした。

それでもその頃の自分は、心の底では、いつもなにか虚しくて、心から喜べず、感動しない、そういう砂をかむような味気ない心の状態だったのです。

心に空いてしまった穴の隙間から、いつもヒューと隙間風が吹いているような、寂しくむなしい心。

そんな心の虚しさに耐えかねて、ある年のGWに、長期の休暇を利用して、金沢に一人旅をすることにしたのです。

理由は、当時ハマっていた、めぞん一刻という漫画のヒロインが、金沢を旅するシーンがあり、「行ってみたいな」と思ったからです。

そこで会えるんじゃないかと、妄想したのです。ちょっとあぶない青年でした。

ところが、その金沢で、後の人生を大きく変えていくことになる、小さな出会いを経験することになります。

その話は、またいつか

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