知り合いから勧められて、映画「終わった人」を観ました。
東大卒のエリートで仕事一筋だった主人公が、会社を退職した途端に、時間を持て余し、
公園、図書館、スポーツジムなどで時間を潰すけれども、どこも老人ばかり。
美容師として忙しく働く妻につい愚痴をこぼし、次第に距離を置かれ、
職探しを始ても、高学歴・高職歴がかえって邪魔をして仕事もない。
カルチャースクールでの出会いや、スポーツジムでの出会いから、第二の人生が急展開していくのだけれど、
次々と災難が降りかかることになり、妻から愛想を尽かされ、「卒婚」を提案されることになるというストーリーです。
「仕事」一筋だった人の定年後の悲哀を、コミカルに描く娯楽作品として、楽しませてもらいました。
仕事をしなくても生きていけるなんて、仕事をしなければ生きられない人からみれば、
なんて「自由な状態」かと羨ましく思うでしょう。
しかし映画にも描かれていましたが、
実際には、「何をしてもいいという状態」は、心を解放するのではなく、
むしろ自分の心を束縛して、「なにもすることがない」と落ち込ませてしまうようです。
何のために生きてきて、これからも何のために生きていくのか、人生の目的がわかっている人は、
たとえば、状況が変わっても、その新しい状況の中で、自分のすべきことを見つけていけるのでしょう。
しかし人生の目的が「出世のため」「生活の安定のため」「会社のため」という人は、
「定年退職」とともに、「終わった人」になってしまいます。
定年とともに「終わらない人」でいるためには、
なぜ生きるのかという、普遍的な人生の目標を見据えて、
変わっていく周りや自分の状況のなかで、
自分の人生の目的に向かって、歩み続けていくことが大切なのでしょう。