休日に、なにもしないでいることが、心からの休息になっているとはかぎりません。
くつろいでいるときも、心のなかでは、
「何かしなければならないんじゃないか」
「休んでいて、大丈夫かな」
そんな声が聞こえてきて、
なにもしていない自分を責めたりするからです。
聖書によると、人は週に一度は安息を必要とするように、造られています。
生産性をもとめて、働き続けていると、
むしろ疲れによって、生産性は下がるし、
病気にさえなるかもしれません。
休むこと。心からの休息は、
できるときに、すればいい、と言うものではなく、
幸いにいきるために、必要なことなのですね。
そして、深い休息のためには、ただ仕事から離れるだけではなく、
「内面的な」休息が大切です。
わたしたちが、体を休めていても、心が休まらないのは、
「自分の価値を、自分の力で、人に認めてもらおう」とするからです。
自分がやっていること、
なしとげたこと、
もっているものによって、
人から評価されたり、
自分で自分のことを評価するという、「考え方の癖」が
心からの休息を、妨げているのですね。
その、「考え方の癖」を矯正して、
自分のほんとうの価値を見出し、心からの休息をするために、
週に一度、教会に集って、
このわたしを愛し、価値あるものとして作ってくださった、
天の親である神さまを、見上げることが、
何よりの心の休息になるのです。
最後に、イエス様の言葉をお伝えしますね。
「すべて、疲れた人、重荷を負っておる人は、わたしのところに来なさい。
わたしがわなたがたを休ませてあげます。
わたしは心優しく、へりくだっているから、
あなたがたもわたしのくびきを負って、
わたしから学びなさい。
そうすればたましいに安らぎが来ます」(マタイ11:28)