人はだれでも自分のことをわかってほしい、理解してほしいと願うものです。
自分がいかに苦しんできたか。苦労してきたか。
親からどれほどひどいことをされてきたか。
夫から、妻から、子どもから、こんなに嫌な思いをさせられてきたか。
学校の先生、会社の上司から、どれほど嫌な思いをさせられてきたか。
この病気がどれほど辛いのか。
お金がなくて、どれほど辛い思いをしてきたか・・・
などなど
そういう自分の感情を
「わかってほしい」
と願うものなのです。
そしてその「わかってほしい」という願望がかなわないと、
「どうしてわかってくれないのか」
「あなたなんかには、わたしのくるしみはわからない」
という怒りという、悪い精神状態へと移行していくのです。
鬱や精神的な問題を抱えている人の多くが、この「人に理解してほしい」という強い願望をもっており、それを手放すことができずにいます。
そして、そういう願望を持っている人ほど、
人を理解しようと試みることをしないのです。
子どもは何かあった時に、必ず親に聞いてほしいと話します。
親にわかってほしいと願うのです。
つまり「わかってほしい」という願望は、幼児へと退行することなのです。
いつか子どもも、親も人間であり、
親であっても「わかることができない」限界があることを知り受け入れることで、
親への依存から脱却し、自立への一歩を歩み出します。
そういう意味で、この地上に命をあたえ生かしている天の親こそが
自分のことを「わかっていてくださる」と信じられる人は、
人への依存から脱して、本当の意味で、自立することができるでしょう。
一方、あくまでも人に「わかってほしい」という願望を持ち続けるなら、
それは人に依存することであり、依存相手に振り回されることであり、
その結果、鬱状態や精神的に不健康な状態となっていき、
不幸な状態を自ら招いてしまうのです。
人に「理解してほしい」「わかってほしい」という願望を手放すこと。
これが幸いな人生への、最初のステップではないでしょうか。