あなたは奇跡を信じられるでしょうか。
今まであなたの人生に、どれくらい奇跡があったでしょうか。
「奇跡などいちども体験したことがない」と思われているかもしれません。
しかしよく考えてみてほしいのです。
「奇跡」とは、人間の力ではできないことです。
そうだとすれば、自分という命そのものが、まさに「奇跡」の賜物ではないですか。
この世界に誰ひとりとして、自分で自分をこの世界に存在させた人などいないのです。
お母さんのお腹の中で、一つの細胞から始まって、分裂に分裂を重ねて約37兆という細胞の一つ一つが、
それぞれの役割を正確にになって、そして繋がって、あなたという一人の人間を形つくっていること自体
「奇跡」ではないでしょうか。
人間は37兆の細胞による、肉の塊ではなくて、実に精密に組み合わされている、最高傑作。
まさに神による奇跡的な作品なのです。
しかも、世界中に同じ指紋の人は、一人もいないという、奇跡的にユニークな作品なのです。
まずは、このあたりまえのように無感覚になっている「自分」という存在の「奇跡」に気づいてください。
ジャンボジェット機も複雑で精巧な設計がなされていますが、
それと比べ物にならないレベルの、複雑さ緻密な設計図がDNAのなかに書き込まれて人はできているのです。
人間はAIを作ることができても、AIは人間を作ることはできないでしょう。
人間は、人間をはるかに超えた、大いなる存在による奇跡的な作品なのです。
この世界は、ほっておいたら自然にできあがったというような、偶然の産物ではなくて、
大いなる存在によって、愛されて、目的を与えられて、存在しているのです。
まさに「存在」そのものが、「奇跡」です。
むしろ、その自分自身の素晴らしさ、価値がわからなくなってしまうところに、生きる苦しみがあります。
「奇跡」がおこらないのではなくて、
今、目の前に沢山の「奇跡」が起こっているのに、無感覚、無感動になっているのです。
さて、「祈り」とは、その大いなる存在に意識を向け、つながることです。
自分を存在させた命の源と、つながる営みです。
「奇跡」の源とつながるのが、「祈り」です。
ですから、「祈り」をとおして「奇跡」を体験していくことになるのです。
「奇跡を受け取る」という言い方もできるでしょう。
そのような「祈り」は、自分の願望をただ大いなる存在に向けて、要求するものとは違います。
なぜなら、要求する祈りとは、自分が中心です。
しかし、「奇跡」を与えてくださっているのは、大いなるお方です。
ですから、すでに「奇跡」を与えてくださっている大いなる存在への、「感謝」こそが、
奇跡を体験する「祈り」となるのです。
すでに与えられている、大いなる方からの奇跡に感謝します。
感謝の祈りを始めましょう。
あなたの人生に、奇跡が豊に注がれていくことでしょう。