祈りについて

奇跡を体験する祈りとは

投稿日:2018年2月13日 更新日:

Jills / Pixabay

あなたは奇跡を信じられるでしょうか。

今まであなたの人生に、どれくらい奇跡があったでしょうか。

「奇跡などいちども体験したことがない」と思われているかもしれません。

しかしよく考えてみてほしいのです。

「奇跡」とは、人間の力ではできないことです。

そうだとすれば、自分という命そのものが、まさに「奇跡」の賜物ではないですか。

この世界に誰ひとりとして、自分で自分をこの世界に存在させた人などいないのです。

お母さんのお腹の中で、一つの細胞から始まって、分裂に分裂を重ねて約37兆という細胞の一つ一つが、

それぞれの役割を正確にになって、そして繋がって、あなたという一人の人間を形つくっていること自体

「奇跡」ではないでしょうか。

人間は37兆の細胞による、肉の塊ではなくて、実に精密に組み合わされている、最高傑作。

まさに神による奇跡的な作品なのです。

しかも、世界中に同じ指紋の人は、一人もいないという、奇跡的にユニークな作品なのです。

まずは、このあたりまえのように無感覚になっている「自分」という存在の「奇跡」に気づいてください。

ジャンボジェット機も複雑で精巧な設計がなされていますが、

それと比べ物にならないレベルの、複雑さ緻密な設計図がDNAのなかに書き込まれて人はできているのです。

人間はAIを作ることができても、AIは人間を作ることはできないでしょう。

人間は、人間をはるかに超えた、大いなる存在による奇跡的な作品なのです。

この世界は、ほっておいたら自然にできあがったというような、偶然の産物ではなくて、

大いなる存在によって、愛されて、目的を与えられて、存在しているのです。

まさに「存在」そのものが、「奇跡」です。

むしろ、その自分自身の素晴らしさ、価値がわからなくなってしまうところに、生きる苦しみがあります。

「奇跡」がおこらないのではなくて、

今、目の前に沢山の「奇跡」が起こっているのに、無感覚、無感動になっているのです。

さて、「祈り」とは、その大いなる存在に意識を向け、つながることです。

自分を存在させた命の源と、つながる営みです。

「奇跡」の源とつながるのが、「祈り」です。

ですから、「祈り」をとおして「奇跡」を体験していくことになるのです。

「奇跡を受け取る」という言い方もできるでしょう。

そのような「祈り」は、自分の願望をただ大いなる存在に向けて、要求するものとは違います。

なぜなら、要求する祈りとは、自分が中心です。

しかし、「奇跡」を与えてくださっているのは、大いなるお方です。

ですから、すでに「奇跡」を与えてくださっている大いなる存在への、「感謝」こそが、

奇跡を体験する「祈り」となるのです。

すでに与えられている、大いなる方からの奇跡に感謝します。

感謝の祈りを始めましょう。

あなたの人生に、奇跡が豊に注がれていくことでしょう。

→あわせて、この渡辺和子さんの記事もお読みください

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