「福音(ふくいん)」って言葉、聞いたことありますよね。
もしかし、福音と書いてあるのを、「ふくおん」と読んでいませんでしたか。昔のわたしだけか・・・。
「福音」とは「良い知らせ」という意味です。そう、福音書とは、良い知らせの書なんですよ。
なにが「良い知らせ」なのかというと、あえて一言でいってしまえば「イエス・キリスト」そのものが「良い知らせ」なんです。
なんだかわかったような、わからないような感じでしょうか。
マルコの福音書の冒頭にこう書いてあるのですね。
「神の子イエス・キリストの福音の初め」
「イエス・キリストの福音」でもあるし、「イエス・キリストが福音」と理解してもいいと思います。
よく「真理が知りたいのです。聖書に真理についてどこに書いてありますか」と聞かれたりするのですが、
わたしはこう即答します。「イエス・キリストが真理ですよ」と
それはイエスご自身が「わたしは道であり、真理であり、命である。」と言われた言葉が根拠なんですが、
言いたいことは、聖書においては、福音も真理も、イエス・キリストを抜きには語れない。
イエス・キリストこそが、その中心なのだということなんですね。
そういうわけで、福音書は、イエス・キリストについて、のちの弟子たちが書き残した書なのです。
そして4つあるのですね。
1.マタイによる福音書
2.マルコによる福音書
3.ルカによる福音書
4.ヨハネによる福音書
なぜ4つもあるのですか? 伝記だったら一つにまとめればいいのに、というもっともなご意見が聞こえてきそうですね。
この質問に、正しい答えはないのですけれども、当時それぞれに必要があったから書かれたということですね。
4つの福音書はそれぞれに微妙に違うのです。マタイとマルコとルカの三つは、たぶん同じ資料があったみたいですけれど、ヨハネは独自な流れ。
まあ、実際に読んでいただければ、その違いは分かると思います。
運動会の感想文に譬えるなら、4人の人が同じ運動会の出来事を思い出して書いても、みんな違った内容になるでしょう。
それと似ていますね。みんな違っているけど、みんな同じ出来事を書いているから、全部読むと立体的に見えてくる・・・みたいなことですね。
そういうわけで4つの福音書がすべて必要。一つにはまとめられないわけです。
さて、そもそも約2千年前の文書ですから、書かれた時代背景や文化を知っておくほうが、よく理解できるのです。
ユダヤ人社会と、そのユダヤ地方を支配していたローマ帝国の社会ですね。
ユダヤ人社会については、旧約聖書を学んだ時に、その歴史に少しふれましたね。
彼らは「主」に選ばれ、愛された民として、「律法」を守って生きていました。
というか、「律法」を守らなくなって、痛い思いをしたので、
その反動で、イエスさまの時代には、かなり熱心に「律法」を守るようになっていたということです。
たとえば、律法の中には、週に一日「安息日」を守ること。その日は仕事はしてはならないとありますし、
食べていい清い動物や、食べてはいけない汚れた動物など、様々な決まりがあって、それを守って生きていたわけです。
実は、いまでも熱心なユダヤ教徒の人々は、安息日も、食べてはならない食べ物についても、守っているんですよ。
さて、その「律法」を研究、解釈する「律法学者」という人々がいて、福音書によく登場してきます。
また、律法を熱心に守る人々で「ファリサイ派」と呼ばれるグループ。
そして、エルサレムの神殿で、ユダヤ教の祭儀を取り仕切っていた祭司や祭司長と呼ばれる宗教家たち。
ユダヤの議会のサドカイ派と呼ばれる議員たち。
そんな人々が、イエス・キリストと対決する「敵キャラ」として登場してきますから、覚えてくださいね。
地名も沢山出てきますけれども、大切なのは、神殿のあったエルサレム。
イエス・キリストが育ち、最初の伝道をしたガリラヤ地方。ナザレの村、ガリラヤ湖、その湖畔の町々の名前がよく出てきます。
イエスさまは一庶民として育っています。父のヨセフは大工だったので、イエスさまも最初は大工だったのでしょう。
ある時から、ご自分の救い主としての使命に目覚めて、弟子を集めて伝道活動を開始します。これをイエスの公生涯といいます。
子どもの頃の記録とかは、ほとんど書いていないのです。福音書は、伝記ではないからですね。
この方は、この世界を、そしてあなたを救う、メシア、キリストであるという、福音を伝えるのが福音書なんです。
長くなってしまいましたね。
最後に、福音書の中に書かれている、イエス様の言葉をいくつか紹介して、終わりましょう。
「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5章45節)
「求めなさい、そうすれば与えられる・・・」(マタイ7章7節)
「あなたがたのうちだれが、思い悩んだからと言って、寿命をわずかでも延すことができようか」(マタイ6章27節)
「悔い改めて、福音を信じなさい」(マルコ1章15節)
「わたしにつまづかない人は幸いである」(ルカ7章23節)
「人間にはできないことも、神にはできる」(ルカ18章27節)
「わたしが命のパンである」(ヨハネ6章35節)
「わたしは復活であり命である」(ヨハネ11章25節)
「わたしの愛にとどまりなさい」(ヨハネ15章9節)
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネ16章23節)
「信じないものではなく、信じるものになりなさい」(ヨハネ20章27節)
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