キリスト教の「お祈り」って、まさに「主」とのコミュニケーションのことなのです。
神様の有難い教えを、ただ勉強して信じることが、信仰じゃないんです。
何度も言いますけど、「主」とのコミュニケーションなんです。信仰って。
人と人とのコミュニケーションも、まずは言葉を使うでしょう。
神様とのコミュニケーションもまずは「言葉」からなんです。
聖書の言葉を読んだり聞くことによって、あなたの心になにか不思議に響いてくる
そんな経験が起こったら、それは「主」からの語りかけだと、気づいて下さいね。
そして心に響いてきた言葉に触発されて、自分の中から引き出されてくる言葉を、「主」に向かって語る。
それを「祈り」というのです。
もちろん、人間同士のコミュニケーションでも、言葉にしなくても伝わる交流があるように、
お祈りもまた、言葉にしない黙想の祈りもあります。でもそれも「主」とのコミュニケーションにはなんら変わりはありません。
なので、キリスト教の祈りは最初に「主」への呼びかけから始まることが多いのですよ。
「主よ」とか「天の父よ」とか「主イエスよ」とかね。
さてイエス・キリストは、祈る時はこのように祈りなさいと、聖書の中で教えているのです。
「『天におられるわたしたちの父よ、/御名が崇められますように。
御国が来ますように。御心が行われますように、/天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
わたしたちの負い目を赦してください、/わたしたちも自分に負い目のある人を/赦しましたように。
これは「主イエス」が教えて下さったので、「主の祈り」といわれています。
今日はこの祈りの詳しい内容まで踏み込みません。
でも一つだけ大切なポイントをいえば、
神様への呼びかけです。
あなたと「主は」
なんと「天におられるわたしたちの父よ」という呼ぶ関係なんです。
「天」といっても、空高く宇宙の果てのことではないのですよ。
「地」がこの宇宙で、「天」はこの宇宙とは次元の違う「主」のおられる領域。
「天」は次元が違うだけで、すぐ近くなのかもしれません。
だから宇宙の果てまでとどく大きな声で祈らなくても、ちゃんと「天」にはとどきますから、安心してください。
いつでも、どこでも、だれでも、「主よ」と呼びかければ、その祈りは「天」に届く。
そのように、「主」とあなたを繋げているのが「聖霊」。
聖霊が働かれるからこそ、祈ることもできるのです。
いまあなたの周り、四方八方が壁にかこまれてふさがっているとしても、
「天」の扉はいつもあいている。いつでも「主よ」と祈れば、「主」「イエス・キリスト」とつながることができるのです。
これって、すごくないですか。
国の首相とか大統領への直通電話より、すごいじゃないですか。
「天におられるわたしたちの父」にいつでも、どこでもつながる祈りという回線を、
あなたは手に入れているのだから。
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