心が渇いていたり、満たされていなかったりすると、
人は「なにかをしなければならない」と、行動至上主義になったり、
お金をつかって、ものを手に入れたり、刺激を手に入れようとするものです。
そうやって、時間とお金を浪費していく原因の根底には、
「心の渇き」があるのです。
ある人は、異性によってその「心の渇き」を満たそうと、依存したりします。
自分が大切にされたり、愛されていると感じる経験が、一瞬「心の渇き」を癒やしてくれるからです。
しかし、時間が立つと、「心は渇き」始めてしまうのです。
イライラしたり、不安を感じるのも、「心の渇き」がその理由になっている場合があります。
つねに欠乏感を感じているので、表情も険しくなりがちです。
お酒やドラッグによって、一時的に欠乏感を埋めようとすれば、依存症の苦しみがまっています。
人は、神にしか埋めることのできない心の穴が開いていると、パスカルは言いました。
命を与え、愛し続けてくださっている、天の神に心を向けることが、「心の渇き」を満たす、命の水なのです。
また、イエス・キリストは、こういうことを言いました。
「人はパンのみによって生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言葉によって生きる」
お金などいらない、この「いのちのパン」によって、
お金では手に入らない、心の充足感、心の喜び、平安を人は手に入れることができるのです。