仏教はこの宇宙内部の真理、道理を人間の認識によって悟るのですが、
キリスト教はこの世界を造られた神を認識しようとするので、
この世界の中に生きる人間の側からは認識することができず、
原理的に、神の側からの語りかけに聞くしかないのです。
仏教が最新の脳機能学、認知学と親和性が高いのは、ある意味必然で、
両者ともに、その射程は人間が認識できる宇宙内部に限られます。
ですから、宇宙を創造した神というものを、前提にはできないのです。
一方キリスト教は、この宇宙内ではなく、そとに創造主がおられ、
しかも、遠くにではなく、神は近くにおられ、語り続けていると証言します。
それは、たとえるなら、お母さんのお腹の中にいる胎児が、
胎盤という自分を包んでいる宇宙の外側から響いてくる、
子に語りかける母の愛の声を聞き取るようなイメージです。
ですから、胎盤のなかでいくら母を探してもいないのと同じで、
宇宙内に創造主を探してみても、みつかりませんが、
実はもっともこの宇宙のそばに、この宇宙を包んでいる、創造主が、
胎盤の中にいる、我が子に語りかける母親のように、
ご自分が創造した宇宙内の、神の子たちに、
預言者とか、イエスキリストの言葉や、それらを記した聖書の言葉を通して、
今に至るまで語り続けておられ、
そのような神の側からの働きかけのことを、聖霊と表現しながら、
天の親の声の響きを聞き分け、聞き取る信仰が、
キリスト教であるわけです。