やさしいキリスト教入門

<14>日曜日に礼拝しないとクリスチャンになれないの

投稿日:2018年1月1日 更新日:

こんなイメージがもたれているんじゃないかなぁ。

「せっかく仕事が休みの日曜日に、遊びにも行かずに教会に行くなんて、

自分にはそんな生活はむりだな。クリスチャンになんかなれないな」ってですね。

そもそも日曜日に礼拝をしないと、クリスチャンになれないというのは、まったくの誤解ですよ。

 

実際、私が山形の酒田にいたときに、仕事の休みが不定期で、毎週日曜日に休めない女性にも、バプテスマ(洗礼)を授けたこともありますしね。

日曜日に礼拝ができない人は、クリスチャンになれない、ということはないんです。

実際、一番最初の約2000年前の教会には、当時、奴隷の身分の人もいて、

日曜日だからといって、仕事を休むことなんかできなかったわけです。

4世紀にローマでコンスタンティヌス大帝がキリスト教を公認するまでは、日曜日に公に仕事を休むこともできなかったのですから。

そもそも教会が日曜日に礼拝をすることにこだわったのは、イエス・キリストが日曜日の朝に、復活なさったからなんです。

だから日曜日に礼拝して、生きる希望とエネルギーを受けてきたわけですね。

それが日曜日にこだわる理由だけれど、日曜日じゃなければならないという話じゃない。

教会によっては日曜日以外に小さな礼拝をしていますよ。

先ほどの日曜日に仕事を休めない女性の場合も、彼女の仕事の休みの日にあわせて、一緒に礼拝をしていましたしね。ケースバイケースです。

日本の教会はほとんどが日曜日の午前中に礼拝をしていますが、私がブラジルの教会を訪ねたときは、日曜日の夜に礼拝をしていましたよ。

 

日曜日に礼拝をしてきた伝統を大切にしつつも、「こうでなければならない」という固定観念にしばられないで、「あの人と礼拝するためには、こうすることもできるよね」と自由な発想で、礼拝に集まる日や時間を柔軟に決めてもいいんじゃないのかな。

というのが私の意見だけれど、

これは別にキリスト教を代表していっているわけではないですよ。あくまで個人的な意見ね

 

でもいいたいことは一つなんです。

 

一緒に集まりたい。心をあわせて一緒に祈りたい。讃美歌を一緒に歌い、聖書の言葉に一緒に耳を傾けたいから、日を決めて集まっている、ということです。

その「共に集まりたい」という思いこそが大切。

まちがっても「自分が救われるために、日曜日に礼拝を守るのだ」というエゴイズムではないんですよ。

「みんなと一緒に、主の愛を喜び合いたい。主の恵みを分かち合いたい。」からこそ、時と場所を合わせて、集まっている。

その「本質」こそが、大切なんですね。

-やさしいキリスト教入門

執筆者:


comment

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください

関連記事

<6>世界で一番読まれている本を、あなたはもっていますか?

ところで、ここまで「キリスト教入門講座」を進めていながら 今更聞くのも何ですが、 あなたは「聖書」をお持ちですか? もしお持ちでなければ、いい機会ですからどうぞ購入してくださいね。   なん …

「注文を間違える料理店」という不思議な「平和」

GraphicMama-team / Pixabay 去年の6月そして9月に二日間限定で「注文をまちがえる料理店」が試験的にオープンし話題になりました。 「注文をまちがえる料理店」で注文を取るスタッフ …

<8>「とりあえず、旧約聖書ってなに」

そもそも宗教にあまり関心がない人にも、つたわるようにと、そういう思いではじめているこのキリスト教入門講座。 初めて聖書を手にした人は、「なんで日本人のわたしが、数千年前のイスラエルとかユダヤ人のことを …

オリジナルの歌「ああ主イエスのように」

向谷地さんの「当事者研究」って、昔から教会がしていたことかも

DGlodowska / Pixabay 心病む方々と共に生きる、北海道のベテルの家では、「当事者研究」ということをしています。 ソーシャルワーカーの向谷地さんが始められた「当事者研究」とは、 問題行 …