わたしは31歳まで10年くらい公務員をしていました。
仕事をしながら、夜学で神学の勉強をして、
やがて教会で牧師をすることになって、20年近く経ちます。
公務員をやめるときは、ちょうどバブルがはじけた後でもあり、
周りの友人たちから心配されたものです。
「大丈夫か」「生きていけるか」
なぜなら、次の仕事が決まっていて、公務員をやめたわけではなかったからです。
牧師になれたら、という思いを持ちながら、夜学で数年間学び続けていましたが、牧師というものにも、自分の願いだけでなれるものでもないわけです。
つまりなんの保証もなく、公務員という安定した職をやめてしまったわけでした。
貯金が少しだけありましたし、独り身でしたからすぐに生活に困るわけではありませんでしたが、それでも「自分はこの先どうなるのだろう」という漠然とした不安がなかったわけではなかったのです。
ただ、牧師の働きをしたいという思いをもって公務員をやめたので、他の仕事を探す気にはなれませんでした。
夜学の神学校に通い続けるために、昼間のアルバイトを始めました。
牛丼の吉野家でした。
あるときは、わたしのバイト先に、元の職場の後輩が食べに来たことがあって、少し複雑な思いにもなりました。
30過ぎてアルバイト生活。月に11万円ほどの給料で貯金を切り崩しながら、生活していたのです。
しかし、こつこつと神学校で学び続けているなかで、ある人から声がかかり、仕事をやめて1年後に、教会の事務の仕事につくことができました。
そして結婚。結婚式には300人以上の人々がきてくださいました。
その後、ある教会が牧師の仕事をするようにと、招いてくださり、こどもも3人与えられ、幸せに生活しています。
公務員をやめたときに、わたしが生きていけるのか心配した人々は、
今のわたしの生活をみて、安心してくれるでしょう。
公務員も大切な仕事だと思います。
でも、わたしはそういう経済的にも社会的にも安定した仕事をやめてでも、
自分が本当にしたいことをしようと願い、勇気をだして一歩踏み出して、
本当に良かったと思います。
「生活できるのか」「食べていけるのか」
これは突き詰めて言えば、「お金」の問題です。
もちろん「お金」は大切です。「お金」はどうでもいい、という話ではないのです。
でも「お金」のことで心が縛られて、本当に自分が歩むべき道に踏み出せないまま、
人生を終えてしまうなら、最後の時に、きっと後悔すると思うのです。
「お金」から自由になり、本当に自分がすべきことをするとき、
むしろ必要な「お金」は天から与えられます。
わたしは山形の酒田で8年半、まったくの0からの教会の開拓を経験しました。
牧師は教会に来る人たちの献金によって、生活が支えられるのですが、一人も教会に来る人がいないところから、始めるのが開拓なのです。
当然、そのままでは生活はなりたちません。
しかも、当時わたしは結婚しており、すでに幼稚園の子どもが二人もいたのです。
どうして生きていけばいいのでしょう。
ところが、そういうチャレンジをした私たち家族のことを、沢山の友人たちが祈り、経済的にも支えてくださったのです。
その結果8年半。その場所で生き抜くことができましたし、こどももさらにもう一人り、その場所で生まれたのでした。
こういう人生を歩んでこれたのは、公務員という生活の安定よりも、
大切なものがあるという考え方を持っていたからです。
また、命を与えてくださった神様が、必要なものは与えてくださる
と、単純に信じてきたから、恐れないでチャレンジしてこれたのでしょう。
本当の自由は、周りの環境とは関係なく、自分の心の中からこそ始まるのです。