なぜなら、目に見える紛争、暴力、搾取などについての平和問題に関しては、
政治や経済、教育、医療、などの処方箋があるけれども、
日々刻々と、目に見えてないところで行われている、
子どもや親に対する虐待とか、
夫婦の間の争い、DVとか、
学校や会社やあらゆるコミュニティーにおける、差別やいじめ、ハラスメントなどは、
政治、経済、医療、教育などの、ある意味「泥縄」の処方箋では、
その闇には届かないし、届いたときには、手遅れだったりするわけでしょう。
このもっとも身近な関係における、平和問題という、
重く重大な課題の当事者は、
ほかでもない、わたしたち一人一人なんです。
そのわたしたち一人一人が、
この重要かつ、もっとも困難な平和問題に取り組んでいくための、
力の源泉が、神の愛と和解の福音。そして神の助けを祈る祈り。
そうわたしは信じているので、
まっすぐに、神の愛の福音を語りつづけ、
神への祈りへ人々を導くことが、
私にとって、もっとも有効かつ重要な平和運動なんですね。
今も、人には隠され、見えないようにされている、
身近なところに、
神の助けによって、平和が実現しますように。