吉祥寺のココマルシアターで、「father カンボジアへ幸せを届けた ゴッチャん神父の物語」を観ました。
2015年、8月。カトリック神父・後藤文雄、愛称・ゴッちゃん(撮影当時86歳)のドキュメント。
最初のシーンで「これが最後の旅になるかもしれない」と、年老いた後藤神父がカンボジアへ旅立つところから始まります。
新潟県長岡市の、浄土真宗の寺の息子として生まれた後藤さんが、戦争の時代、最愛の母や弟たちとの死別。
すぐに再婚した父への軋轢。そして初恋の人に誘われて教会へ通うようになり、いつしかカトリック神父となっていった生い立ち。
やがて1981年、52歳の時に、祖国の内乱や殺戮から日本に逃れてきたカンボジア難民の子どもを受け入れ育てることに。
彼らから独身の後藤神父は「お父さん」と慕われ、その関わりから始まったカンボジアでの学校作り。その数19校。
映画は、その集成となるカンボジアへの旅と、故郷長岡への旅、そして後藤の日常を追った足かけ2年にわたる記録を織り交ぜた、ドキュメンタリーでした。
ポルポト政権下において、恐ろしい虐殺が行われていたこと。生き残った子どもたちの心の中の闇。痛み。
豪快に笑い、飲み、歌い、踊る、後藤神父の温かさのその底に、戦争によって母を失った悲しみの記憶が横たわっていること。
これは、慈善事業とか、人助けのような枠組みとは全く違う物語。
人生と人生の出会いと別れそのものの物語。
虐殺から生き残った人たちの、地獄を体験した証言は、重く心に迫る。
人間は、自分がどの時代のどの場所に置かれるのか、選ぶことなどできないままに、
生かされている時代のなかで、愛する人と出会わされ、愛する人と別れさせられていく。
そのようにして、苦しみを背負わされながらも、ただ前に向かって歩みつづけていく日々のなかで、
あるとき、
その数々の出会いと別れのさきに、
そのつらい傷口から、しかしそこからこそ生まれでることとなった、
不思議な実りというものに、気付かされる時がくるのかもしれない。
その一つの実りとして、カンボジアに立った19の小学校から、これから巣立っていく子どもたちを通して、
この世界にさらに愛と平和の実りが実りますようにと、
祈らさせられます。