まず、「自分に自信がなくて、人の目が気になる」のは、あなただけではないですよ。安心してください。
そして、あなたのせいでもないのです。
これは日本人にとても多い傾向があるのです。
わたしは日本の「公教育」に原因があると思っています。
学校で行うテストとは、つまり、教えられたことを記憶しているか、間違い探しをしているわけですね。
できて当たり前であり、いつもできなかったことへの、ダメ出しをされ続けるわけです。
もうそれだけでも、ネガティブな考え方を植え付けられ続けているわけですけれども、
さらに同じ年齢の子どもたちが同じクラスで、お互いを比べ続けているわけですから、
できる子はいじめられないように、できないふりをすることもあるでしょうし、
できない子は「自分はだめだ」という劣等感を植え付けられてしまうでしょう。
常に人と比べる環境に置かれているのだから、「人の目が気になる」ようになってしまうのは、当然です。
また「間違うこと」や「失敗すること」を、日本人ほど異常に恐れる国民はないのではないかと思いますが、
それも教育のおかげです。
ですから、まずは「自分に自信がなく、人の目を気にしてばかり」という自分を、責めないでください。
みんなそうなんです。そう思わされているのです。
そういうある意味「洗脳」から、このブログのさまざまな記事を通して、解放されていってくださいね。
他人の目が、あなたという存在の価値を決めているわけではないのです。
「人からどう思われるか」が気になっているのは、
「わたしは、人から認められるとき、初めて価値ある人間になれる」
と思い込んでいるからです。
これはある意味「洗脳された価値観」です。赤ちゃんの時から、そんなことを考えている人などいないでしょう。
成長の段階で、そう刷り込まれたのです。
もちろん「自信がない」ということは、日本人でもアメリカ人でもイタリア人でも、人間なら当然あることです。
むしろ、なんでもかんでも「自信がありすぎる」ほうが問題です。
出来もしないのに、「自分はなんでもできるぜ」という、自分のことがわからなすぎる人は、人間関係や社会に問題を引き起こすでしょう。これは論外。
しかし、やればできるのに、「自分なんか」「きっと無理」と心にブレーキをかけているのは、自分自身。
「失敗したらどうしよう」とか「間違ったらどうしよう」と、恐れているわけです。
もっと突っ込んで言えば、
「失敗した自分を、人はどうみるだろうか」と、恐れているわけです。
人の評価に、自分自身の価値を委ねてしまっているわけですね。
その時点で、その人の「奴隷状態」になっていることに、気づいてほしいのです。
人間の価値は、人間が決めていいものではありません。
決められるものでもありません。
価値とは、何かができるというような「生産性」にあるのではなくて、
他には代えられない「ユニークさ」にこそあるのです。
実にこの世界に、同じ指紋の人は、一人もいないのです。
同じ人は、一人もいないのです。まさに、神の作品です。
そこに「あなた」という人の、計り知れない価値があり、
人と比べられるものでも、ある個別の能力が、できるとかできないという優劣で、
はかることなど、そもそもできないのが、あなたの存在の「価値」なのです。
これが腑に落ちて、自分の存在というものの不思議さ、尊さが腑に落ちれば落ちるほど、
人の目を恐れなくなっていくものなのです。
むしろ、このわたしを存在させた、大いなる存在の愛の眼差しだけを信じて、
力強く、前進していけるものなのですよ。
大丈夫です。