日本人の私たちでも「救世主」とか「救い主」という言葉くらいは聞いたことがありますよね。
この日本語で「救世主」と訳されるのが「キリスト」。これは新約聖書が書かれたギリシャ語読みですけれども、旧約聖書のヘブライ語では「メシア」ですね。
「メシア」も「キリスト」も要するに「救世主」。この世界、そしてあなたを救う「救世主」を「キリスト」といい、
約2000年前に、ユダヤ人としてガリラヤのナザレに生まれた「イエス」こそ「キリスト」と信じる人々を、
「キリスト教徒」とか「クリスチャン」というわけですね。
「なんだ、天地を造られた「主」を信じるだけじゃないんだ。わかりにくいなぁ」と思われるかもしれませんねぇ。
「「主」だけ信じればいいじゃん」と思うでしょうかねぇ。
「自分は別に救われる必要なんてないよ」って思うでしょかね。
もし「自分は、救ってもらう必要なんてないよ」って本気で思う方は、
同じ「主」を信じている、ユダヤ教とかイスラム教がおすすめですね。
●ユダヤ教は「イエス」を「キリスト」とは信じないけれど、「主」は信じていて、
●イスラム教は、唯一の「主」を「アッラー」と呼んで信じていて、「イエス」は預言者の一人という理解。
そういう意味では、キリスト教もユダヤ教もイスラム教も、同じ神を信じているんですよ。だから、無益な争いはやめようね。ほんとに・・
キリスト教徒とは、「自分は罪深いので、「主」に救ってもらわなければ、だめなんです」と気づいて、
「イエス・キリスト」を信じて、「主」に罪赦されて、救っていただいた人々のことなんですよ。
それは、人間の宗教的な努力とか、戒律や律法を守る人間の頑張りでは、どうにも実現しない「神の救い」。
「神の救い」。「神の救済」を扱っているんです。必然的に「キリスト」は神、「主」ということになる。
そこで「主イエス・キリスト」という言い方もするわけです。
つまり、
約2000年前にユダヤ人としてガリラヤに生きた「イエス」は、人間の姿をとって来られた「主」であり「キリスト」なのだ。
「イエス」は「人」であり「神」であると信じているのですよ。クリスチャンは。
「え、そんな馬鹿な」
「人でありながら神なんて、まったく理解できない」
はい、わたしも理解できません。いいんですよ。人間の合理をこえているんです。でも非合理ではなくて、超合理。
これを「はい、信じます」と、信仰によって受け入れさえすれば、
あなたも今、救われるんです。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」
(新約聖書 使徒言行録16章31節)
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