「否定と肯定」という映画をみました。
これは実話に基づいた歴史映画なんですね。
1994年、アメリカのジョージア州アトランタにあるエモリ―大学でユダヤ人女性の歴史学者デボラ・E・リップシュタットがホロコーストに関する講義を行なっていました。
そこに乗り込んできたホロコースト否定論者のデヴィッド・アーヴィングが、「ユダヤ人を殺せというヒトラーの命令書はない、だからヒトラーはホロコーストを命じていない」と言い放ち、証拠となる文書を見つけた者には1000ドル出すと聴衆を煽ります。
その後、自分がホロコースト否定論者と呼ばれたとして、彼女とその出版社を相手取り、名誉毀損訴訟を起こすのです。
訴えられた側に立証責任がある英国の司法制度の中でリップシュタットは”ホロコースト否定論”を崩すこととなり、彼女のために、英国人による大弁護団が組織され、アウシュビッツの現場調査に繰り出すなど、歴史の真実の追求と裁判が始まっていきます。
これ以上はネタバレになるので言いませんけれど、この映画を観て改めて考えたことは、
たった70数年前の出来事でさえ、しばらくすると「そんなことはなかった」という人々が現れるのだな、ということです。
従軍慰安婦の問題や、南京大虐殺のについても、同じように「そんなことはなかった」という人がいるように。
あたりまえのことですけれども、真実な歴史をありのまま完全な形で記載したり、保存することはできませんね。70年前といっても、写真や映像はあったのに、それでも「本当なら、証拠をだせ」と言う人、重箱の隅をつついて、定説となっている「歴史」を否定する人はいます。
結局リップシュタットがそのような否定論者との裁判で勝利できたのは、「彼らと同じ議論の土俵に乗らなかった」からでした。賢い選択だと思います。
この映画を観て改めて思わされたのは、「歴史」とはなんなのだろうということです。
人間は、過去のその時間をそのまま保存することも体験することもできないゆえに、限られた証拠をもとに、そこで起こったはずのストーリーを、想像するしかない。
歴史とは、結局そういうものなのだ、と、あらためて感じさせられた、いい作品でした